12, 09. 2011 エゾノコンギク


東日本大震災から半年が経過した昨日は、様々な特集番組がTVで流れた。総じて云えることは、半年が過ぎても、行政の指針が明確でなく、期待程の復興が進んでいないこと。不自由な生活を余儀なくされている被災者の方々には、半年は殊の外長く感じられたと思われる。

土曜日に油絵を描きに見えた方が、NHK東海村臨界事故」取材班に依る、「朽ちて行った命」という本を置いていって下さった。泊村原発から少し南の岩内に御実家があるので、最近は原発関係の本を良く読まれている。福島原発事故当時は、原発を支持しておいでだったが、収拾のつかぬ事故の在り様、原発建設に当っての様々な姑息な手段などが報じられるに及んで、原発への不信感が増大している様子が伺える。御実家が原発から近く、ご親戚も多いとのことで、胸中は察するに余りある。

小出浩章氏の「原発のウソ」にも取り上げられていた、1999年、作業中の事故で被爆し、東大病院で壮絶な治療の末に亡くなられた作業員の様子が書かれている。白血球が減少し、抵抗力がなくなるのは知っていたが、細胞の染色体までが破壊され、新たな細胞が作れなくなり、皮膚も内臓の粘膜も、次々に剥がれ落ちていく有様には、言葉を失った。



洗濯などの雑用を済ませ、陶の作業を一段落させ、2時少し前に散歩に出かけた。高い位置から原野を眺めたくなり、五番通りを廻って来ることにした。四番通りの北のクズは、北と西に広がり、西に広がったクズは防雪の鉄柵に這い登っている。




坂道を下りて北へ進む。先日高い位置から見たので、未収穫の玉葱はほんの僅かに見えたが、近付いて見ると未だ大分残っており、詰められた函が畑の中央に、空の函が道路際に並べられてあった。その北の牧草地では、草刈りの作業中だった。過日の様な迷路の様な刈り方ではなく、外周から中心へ向けて規則的な刈り方をしていた。




五番通りを東へ進む。側溝にはミゾハギが満開だった。期待していた馬の姿はなかった。丸太に鉄線を張り渡した柵が無くなっていた。草が伸びて、馬が踏み歩いた跡もない。五番通りの車の交通量が増えているので、何処かに移動させたのかも知れない。高速道路の西の道を南へ向う。寂しくなった原野を、エゾノコンギクが彩り始めていた。西の山々が大きく見える。雨が近いのかも知れない。久々に、恵庭岳の姿を眺めた。





緩い勾配の道を登り、高速道路が遥か下に見える地点に出た。高速道路のフェンスに絡まったツルウメモドキの葉が、黄色く色付いていた。実も少し色付き始めている。帰りがけに立寄ったスーパーの西の木立のツルウメモドキは、殻が開き始めて実が見えていた。





夜半に雨が降って、今朝は敷石が濡れている。気温もまた少し下がって肌寒い。一雨毎に熱が奪い去られていく様で、これからの雨は気が滅入る。


エゾノコンギク Aster microcephalus var. yezonensis キク科
ツルウメモドキ Celastrus orbizulatus ニシキギ