13, 03. 2011 余震続く 


一夜明けても余震はなお続き、津波警報が出ていた。上空からの撮影では、集落が殆ど流され、夥しい残骸に混じって、船が横倒しになっている有様が映し出されていた。母が釜石の出身だったので、津波の話は何度も聴いていたが、手の施しようのない無惨な有様だった。水や電気が途絶え、暖を取るのも侭ならないだろうに、無情にも雪が降っていた。連動作用なのか、震源地は中部地方にまで及び、日本海側にも強い地震をもたらしているのが不気味だった。

前日の夕焼けが暗示していた様に、昨日は朝から良く晴れた。風も弱く、気温が少し上がった。午前中の教室の最中に、窓ガラスに大きな黒い影が過った。梅の樹に大きなハシブトガラスが止まり、ヒヨドリの食べ残しの林檎を枝から抜き取り、飛び去った。鴉も食糧難とみえる。

教室を済ませた午後、買物がてらの散歩に出かけた。ナナカマド公園のモミジの梢が赤くなっていた。公園を抜けて東へ向う。雪が大分融けて、枝を雪に捉えられたナツハゼが姿を現していた。極度に撓んではいるものの、折れた枝は見当たらず、安堵する。



風が弱く暖かい所為か、東の沢には小鳥の姿が見られた。ヤマガラと思われる。沢に沿って、西の道を北へ向う。三番通りに近い沢で見かけた鳥は、遠くからヒヨドリと思って写したが、PCに落としてみると、頭部に白と黒の文様が合った。図鑑を調べたが、鳥の名は判らなかった。






三番通りを渡って、四番通りへ向う。東京在住のOさんが、メタセコイアの写真をメールに添付して送って来て下さったが、カラマツの梢も、メタセコイア程美しくはないが、大分色付いて来ている。以前から気に懸かっている、遠方から緑色を帯びて見える樹の芽が、随分膨らんで来ていた。





雪を押し付けられる農場側の雪の山は未だ高かったが、高速道路側の雪はすっかり嵩を減らし、枯れ草が顔を出していた。西から雪雲が広がって来ていた。





時の経過とともに、地震津波の被害の大きさが明らかになって来ている。一瞬にして、培って来た生活の場ばかりか、数多の命が奪われてしまった。