12, 03. 2011 大地震


昨日朝方は雲が多かったが、時間を追う毎に晴れ間が広がった。午前中は、義妹のバッグの仕立てをした。革が厚いので、足踏みミシンなのに一気にミシンはかけられず、ステッチは手でハンドルを回して1針ずづかけるので、途方もなく時間がかかる。

午後、'09年のポルトギャラリーでの個展の折、上の会場で同時期の個展をお願いしたS氏から2人展の案内状が届いていたので、買物もあり札幌に出かけた。駅から道庁の前庭を抜け、南へ向った。池はすっかり氷が融けて、マガモが岸で休んでいた。




南門を出ようとして、大きな樹に気付いた。名札が付けられていた。ハリギリという樹だった。図鑑で調べたら、葉の形も良く、花も面白い。若葉は食用になることも判った。最上部の写真が、ハリギリの樹。樹皮が縦に深く亀裂が入るのは、かなりの年数が経っている証らしい。



南1条の2店で要件を済ませて、北へ戻る。案内状のマップには、サッポロ・ファクトリーが載っていたので、北3条を東へ向った。ファクトリーの東の緑地帯の角に、佳い姿の下見板の洋館があった。門は開かれていた。Netで調べたら、旧永山武四郎の屋敷で、本館は明治時代のもの、下見板の洋館は昭和初期の建築であることが判った。時間がなくて、南側の本館は見ずに戻ったが、暖かくなったらゆっくり見たいと思う。




もう1本北へ向い、漸く画廊を見付けた。周囲は工場やしもた屋の小さな店舗があり、雑然とした地域だった。S氏の2人展は、色調も表現形式も近い作家とのもので、私が2人展をするなら、対比を生む様な展覧会にするのだがと思った。




陽が傾き始めた中を、西へ戻る。帰りの電車の車窓からは、薔薇色に染まった空と、建造物のガラス窓が楽しめた。



家へ戻ると、義妹が玄関に出て来て、電車が動いていたかと尋ねられた。通常通りだったと答えると、大地震が起きて、混乱していると教えてくれた。食事の折にしか付けない居間のテレビが付けられ、地震の惨状が映し出されていた。地震の被害よりも、大津波の被害が酷い様に思われた。次々に中規模の余震の速報が流れる。やがて、火事や原発の二次災害の様子も報じられ、被害の拡大が懸念された。