09, 12. 2009 空いた時間に 


相変わらずの薄暗い天候。時折雲の切れ間から陽が射すが、長続きはしない。関東地方で氷点下の気温になったとニュースで報じられていたが、一昨日よりは冷気が緩んでいるように感じられた。一昼夜放置して乾かした作品を床から外し、新たな和紙を水張りし、乾きを待つ間に本を読んで過ごした。

週一度油絵を描きに見えている方々は、本の回し読みをされている。何れもお子さんは独立され、ご主人に先立たれた方々なのでご自分の時間は充分お持ちで、本を読んで過ごされているらしい。私が買求める本とは異なった傾向の本が廻って来る。昨日は日米開戦の日だったが、この日を知る日本人は、人口の4分の1になってしまったらしい。先週土曜日、廻って来た本は、加藤陽子著 「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」という本。私学の歴史が好きな中・高校生を相手にした講義内容が本となっているもの。

読み始めて暫くして、遠い昔に読んだロジェ カイヨワの「反対象」を思い出した。勿論、内容は全く異なるのだが、論旨の展開がこの本を思い出させた。「反対象」を読んだ折、何故かその当時はもうなくなっていた職種の電話交換手のイメージが湧き上がった。地域毎にかかって来る電話を、相手の希望先へプラグを差し込んで繋げる仕事で、女性の多い職種だった。一見無関係と思われる事象が深い部分で通底する様は、異なった位置にプラグを差し込んだのに、複雑な回路を通り抜け、正しく先方に繋がる有様を想起させた。まるで箇条書きの様に、多くの命を奪い去った戦争が単純に表記されている歴史の教科書の行間が、見事に埋まり関係の糸が張り巡らわされて行く。考える面白さを、若い時期に味わえた講義の対象となった私学の生徒は、何よりの宝を得た幸せな生徒達と思った。



先々週に廻って来た、ローズ ジョージ著 大沢章子訳の「トイレの話をしよう」という本は、中々恐ろしい内容の本だった。自宅にトイレがあるのが当たり前の様に暮しているが、自宅にトイレのない家に住む人々の多さに、衝撃を受ける。密林や砂漠等の環境なら容易に想像出来るが、人々が密集する都会にもその現状があるのには驚く。ムンバイ(ボンベイ)の密集地帯には、僅かな共同トイレしかないと書かれてあった。丁度先週、BS 朝日で開局記念番組として、世界の建築が紹介される番組があり、数日続けて見ていた。歴史的な建造物の紹介に続いて、ムンバイのスラムが紹介された日があった。複雑に入り組んだ細い路地の密集地帯で、屋根の上を伝って歩く人々も見られた。あの膨大な人口を抱える地域に、僅かな共同トイレしかない状況を思うと、頭が痛くなる。IT 産業で右肩上がりのインドの経済状態なのに、水爆を作る予算はあっても、人々の衛生状態を向上させる予算はないらしい。先進国の状況も、決して安全ではないことが分かった。確かに汚物は、我々の目の届かぬ所で処理され、一見衛生的には思われるが、下水の処理で膨大な汚泥が残る。有害な化学物質も含む汚泥が農地に撒かれて、健康を害するアメリカでの例が書かれていた。日本でも大差のない処理がなされているのだろうから、目に見えぬ形での環境汚染は後進国と大差はないことになる。

夕刻少し晴れ間が出て来た。今日からの天候の好転を伺わせる夕焼けが見られた。