23, 02. 2012 見えない災禍


前日の強い風が止み、気温も少し上がった昨日は、朝から良く晴れた。朝食後直ぐに和紙の仕事に入る。和紙とは云っても、正確にはネパールで漉かれた表面の粗い紙。均一ではなく、時には木片が入っていることもある荒々しい表情の紙。ずっと以前に、東京の千石にあった紙の専門店で見付けたもの。陶の小品の質感に合った佳い風合いだが、扱いが難しい。

正午少し前に、AMZONに依頼してあった玄侑宗久著「福島に生きる」が届けられた。先週美術評論家のKさんから戴いた書状に紹介されていた本。Netで調べて発注してあったもの。折しも、正午のニュースで、米国の原子力規制委員会が、東北大震災の後ウィーンのIAEAとの話し合いを記録したものを公表したとのニュースが流れた。かなり早い段階で、最悪のシナリオとしてメルトダウンを想定している。委員会が在日の米国人に出した原発からの危険地域と日本政府の出した避難処置に大きな差があったのが頷ける。公表された記録の中で、日本政府の情報隠匿を懸念する文章もあった。昨夜半分程読み進んだが、正確な情報もないままに膨らんで行く不安を抱えて、困難を強いられる人々の様子が書かれていた。津波は目に見える暴力的な災禍だが、放射能は目に見えぬ災禍であることがよく分かる。



2時過ぎに夕食の素材を買い求めに出かけた。雪が大分緩んでいた。北東を廻ろうと、ナナカマド公園へ向う。厳しい寒さが続いていたが、冬囲いの竹しか見えていなかったコノテガシワを包む緑のネットが少し頭を出していた。西の空に薄雲が広がって、下層を流れる浮き雲と太陽の相克が始まった。雲が日を飲み込む様な形が面白い。





東の沢では、雪を沢に運ぶ人々の姿が見られた。重機で沢に押し出された雪の山に、ダンプを押して付いた道が付けられていた。作業をしていない道を選んで、先まで歩いてみた。道は雪の山の更に奥まで続き、大量の雪が沢の斜面に押し出されていた。ホウノキはどうなったかと、別の道を入って見る。枝が大分雪に掴まっていた。折れぬ内に、雪が融けて欲しい。




風がないので、四番通りを回り道することにした。シラカバの梢が赤く輝いていた。冬芽が膨らんだ梢も見える。農場の北西に、手稲山が見えた。道は下り坂になるので、四番通りからは見えない。農場の間の道を南へ戻る。西の空が暗い。黒く煙っている所は雪が降っているのかも知れない。買物を済ませて戻る頃には、西の空も晴れて青空が広がっていた。





今朝は雲が多いが、青空も覗いている。最高気温が3度になるとの予報が出ている。雪解けが進むと有難い。