05, 02. 2023 腰部肺柱管狭窄症だった

 

腰部を中心に右半身が痛み、歩行が困難となった半月程前、弟の運転で彼が30年ほど前に設計を担当した外科へ連れて行って貰った。問診を終えてレントゲンを撮られ、3種の飲み薬と2種の傷薬を受け取って戻った。もう30年ほど前に義妹の父親が他界して、母親が一人残された。丁度そろそろ家を建て替えようかと時期だったので、家族で相談して、余り丈夫でない義妹の母親も一緒に暮らせる家が出来上がった。先年旅立った義母が5年程使用していた昇降機が、大いに役立った。

家具や壁を伝い歩きしか出来なかったが、先週末から歩行が可能になった。医師に手術を受けるかと尋ねられ、部位は離れているものの神経管なので、仕事に不可欠の右手に何か影響が出る事を恐れ、手術は断った。注射は、全て左手に打って貰っている。一昨日、次回の来院は1週間後と決められ、大量の薬を受け取って来た。

昨日久々に、夕食を担当すると申し出た。義妹が無理をしない様にと、弁当を取り寄せるので、ご飯と汁物を作る事で話が落ち着いた。

久々に住宅街を、東へ向かう。左右から雪が迫り出して、道幅がかなり狭くなっていた。

 

 

何時もなら南を大回りするのだが、最短距離を3番通りへ向かう。キタコブシの花芽が、白く光っていた。東のスーパーの駐車場の西側に並ぶ、シラカバの梢が赤みを帯びて来ていた。伸び始めた雄花の所為だった。

 

 

東のスーパーで野菜を買い求め、西のスーパーへ向かう。歩道脇のイチイの生垣から、数多くの氷柱が下がっていた。無理をせぬ様に、日常を取り戻したいと思っている。