23, 03. 2011 風冷たく


お彼岸も過ぎたのに、一向に暖かくならない。昨日は晴れ間が多かったが、陽射しとは裏腹に、冷たい風が吹いた。被災地に救援物資が届き始め、夜具などが改善されているのにほっとする。10日を越える集団生活は、心身共に疲労が蓄積するだろうと思われる。夕刊に避難所も流されて、家が残った人々が自宅を開放し、大勢の避難者を受け入れている様が報じられていた。原発の二次災害は、避難者のみならず近隣の農家や酪農家にも多大な被害を与えている。不都合な事実は隠蔽し、工業生産の手薄な地方を狙い撃ちして、何れ程多くの原発が建てられたことか。

粘土や縫物で根を詰めていたので、広い空が見たくなった。2時過ぎに散歩に出かけた。北の沢から四番通りを廻って戻ろうと西へ向う。昨年植物名が判らなかった、幾分面妖な植物が、赤い芽を出していた。マンサクのあるお宅に立寄る。茶色の包皮が僅かに開いて、黄色い蕾が覗いていた。





西から流れる雲が、怪しい表情を見せていた。北の沢に押し出された雪の山は、大分嵩を減らしていた。犬を散歩させていたらしい大きな足跡を慎重に辿って、池を覗いた。水面が大分広がっていた。押し倒されていたクマザサが姿を現し始めていた。





三番通りを東へ戻らずに通りを渡って、未だ通ったことのない住宅街を北へ向った。突き当りに小公園があり、西角に大きなズミの樹があった。小公園の北は地盤が低くなって、牧草地になっていた。住宅街を東へ戻り、北に折れて四番通りへ向う。西の山々が見えていたが、雲の動きが活発だった。北の原野は、柔らかに色付いていた。





雲を見ながら東へ戻る。遮るものがない広い空は、気分を落ち着かせる。大災害の勃発時、支援ではなく、極東の放射線の測定を強化したロシアの計器には、どのような数値が記録されているのだろうか。





今朝は晴れているが、時折雪が舞っている。気温は低いが、風は治まった。暖かな春が待ち遠しい。