22, 03. 2011 空蒼く
前日とは逆に、昨日は朝方の重い雲が高くなり薄日が射して、正午過ぎには晴れ間が広がった。強い風が雲を追いやった感じだった。土浦在住のMIXY友Sさんが、コメントに原発に勤務して癌で亡くなった平井憲夫という方が書かれた本を読んで、暗澹とした気分になられたと、コメントに記されていた。この人物についての知識は皆無だったので、NETで調べた。災害当初から解説している人達に不信の念を抱いていたが、平井氏のNPを読んで、腑に落ちるものが多かった。勿論反証もあるだろうが、それに付いても記されている。
原発がどんなものか知ってほしい http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html
午前中雑事を片付けて、高い位置から眺めたくなり、国道の南へ向った。国道沿いのナナカマドは、未だかなりの雪に埋っている。ナナカマドも、南へ曲がった道の松も、枝が折れていた。風が強く、雲の流れが速かった。
酪農学園大学前の道を東へ向う。ツルアジサイも蔓が折れて、樹液が出ているのか氷柱が出来ていた。数多くの松毬を付けたカラマツを見上げる。突き当りの急勾配の道を上り始めた。西の山々も、東の山並みもすっきり見えていた。
被災地の情景が頭に浮かんだ。被災者はまたあの土地に生活の場を再建するのだろうか。田老という街は、10mもの防潮堤を完備していたが、津波は軽々と堤を越えてしまった。土地の所有権の問題もあろうが、もっと高い土地を造成することは出来ないのだろうか。山の樹を切り出す代わりに、海岸線には此処のハルニレの様に、深く根を張る樹を植えれば佳い。膨大な瓦礫の木材は、チップにして固形燃料として被災者の燃料にはならないのだろうか。脈絡もなく様々な想いが浮かぶ。低い土地に、安全な太陽光発電のパネルが並ぶ光景が眼に浮かんで来た。西から雲が広がって来た。
線路へ続く長い坂道を降りる。国道へ上る階段が見えていた。階段を上り、南を振り返った。正面にハルニレが見えていた。国道から一番通りへ出て西へ戻る。小公園のホウノキを見に立寄った。未だ運び込まれた雪が高く積っていた。
昨夜僅かに降った雪がうっすらと積っているが、今朝は良く晴れている。また寒気が押し寄せて来ているらしい。