21, 01. 2011 マーブル紙


大寒の昨日は曇と雪の予報が出ていたが、朝方の雪雲は間もなく切れて、薄日が射して来た。今年初めての工房行き。成形は済んでいるのだが、大きな器は底が未だかなり湿っていたので、幾分ましな急須をエアーマットで包んで持参した。札幌駅に着く頃には、青空の領域が広がり、琴似駅で降りた折には、日が射して暖かかった。駅前の商店街は、ロードヒーティングが施されて雪がなく安全に歩けるので、南へ歩いて生花店へ寄り、サイズの大きな白、ピンク、紫のヒアシンスを7本買求めて土産にした。商店街が切れると歩道の状態が悪化するので、時間と手間をかけた陶器を転んで割っても詰らぬので、タクシーで工房へ向った。

工房の周囲は団地と変わらぬ程、雪が多かった。玄関に大きな鶴嘴が置かれていた。凍った雪を割る為のものとのこと。雪掻きは大変と、K・Kさんが顔をしかめておいでだった。ヒアシンスは、K・Kさんが作品の真っ白い大きな器に入れて下さった。裏庭の沢も雪で埋っていたが、奥の三角山から流れて来る小川は、比較的気温が高めの日が続いているので、凍らずに流れていた。




急須の底の陶土をもう少し削ったり、掻き篦で表面の余分な陶土を削って整え、1時前に仕上げて昼食を取った。12月に轆轤で成形した高台付きの平皿の仕上げに入る。素焼の筒を水に入れ、充分水を吸い込ませたものの上下に粘土を付け、一方は轆轤に固定し、もう一方の粘土で逆さにした器を固定した。これなら底の削りは、楽に出来る。先ずは高台の形を整え、内部を削った。高台周辺に余分な陶土が付いていて厚いので、これも皿の端へ向けて良い曲線を描く様に整えた。何とか形に仕上げたら、4時を過ぎていた。地下鉄の駅付近まで車で送って頂き、市場で買物をして、往きがけに寄った生花店で、明日のモデルの花を買求めて戻った。

家へ戻ると、甥からの贈物が届いていた。クリスマス休暇を利用して、2人でフィレンツェとローマを廻ったとかで、家族夫々に紙製品を土産として送って来ていた。私にはフィレンツェで求めたマーブル紙が入っていた。もう20年も以前に、弟と冬のイタリアを半月程廻ったことがある。ヴェッキオ橋に近いアルノ河の畔にある大きな紙製品の店舗でマーブル紙を買求めたことを思い出した。未だアラスカ経由の頃で、帰国の折ミラノの空港からロンドンの空港へ向ったが、飛行機を降りる際に、座席に湾岸戦争勃発の大見出しの新聞が読み捨てられていたのを思い出す。




水面に次々と絵具を落とし、細い棒の先で水面に浮かぶ絵具を操作し、紙を当てて刷り取る技法なのだが、日本人がこの手法を使用するなら、もう少し間を活かしそうにも思われる。昨夜は月が見えていたのに、今朝は雪が窓に貼り付いている。夜半に吹雪いたものと見える。冬は中々手を緩めない。