25, 11. 2009 欠礼の葉書


郵便物に、欠礼の葉書が混じる季節になった。年回りか、今年は弟宛の方が多い。昨日の郵便物の中に、大学時代の友人からの葉書があった。学生時代、周遊券を手に入れて、全国を二人で廻った友人。結婚されて東京に暫く住まれ、その後ご主人の故郷の福岡に長い間住んでいらっしゃる。札幌に御実家があるので、独り暮らしとなられたお母様の様子をご覧になられる為に屢々来道されてらしたので、遠く離れていても、会う機会は多かった。欠礼の葉書は、お母様のご逝去を報せるものだった。

'06年にパリでの2人展の折、2週間余のパリでのアパート暮しと、それに続くロンドンでの10日程の旅に、彼女の友人の人形作家と付合って頂いた。東京での個展の折に、人形作家の個展も開かれていて、福岡から上京した彼女と訪ねたことがあった。高校で美術を教え、水彩画を続けて、旅行にもスケッチブックを持参する積りという彼女の為に、4Fのスケッチブックが入るバッグを作って差し上げた。素材は、彼女の着古しの黒い革のコート。皮革製品の革は薄く鞣してあって、布と変わりなく楽に縫製が出来るが、革が小さく裁断されていることが多いので、大きな物を作るのは中々難しい。このコートも、縦長のパーツが組み合わされていて、幅の確保に苦労した。革は布とは異なり、縦、横自在に使用出来る。長いパーツを横に使用して幅を出し、高さはポケットの切り替えで出した。革に余分が出たので、通院されておいでのお母様の為に、小振りのバッグも仕立ててお渡しした。




パリでは移動が多く、スケッチをする時間は殆どなかった。パリからロンドンに移動する前に、季節が移って不要になった衣服や雑多な品を、日本へ送ることにした。画廊の奥様が、荷物を出して下さると仰るので、夫々大きな荷物を最終日に抱えて、画廊へ届けた。友人2人は、荷物を一緒にして送ることになり、2つの荷物の梱包と輸送をお願いした。帰国後数日経って、パリからの荷物が届いた。心配していた2つの硝子器も、衣服で包まれてあって無事だったが、何故か彼女のバッグが私の荷物に入っていた。二人の荷物が多くて、段ボール箱に入り切らず、容量に余裕があった私の荷物に入れられたものとみえる。彼女の携帯にメールを入れると、当座使用しなくても良いので、今度札幌で会う折に受け取るとのことで、旅の写真等見ながらの思い出話も悪くないと、保管してあった。

その後、彼女はお母様の介護で忙しく、私は展覧会で忙しくなり、バッグのことはすっかり忘れていた。昨夜納戸を探して、漸くバッグを見付け、お悔やみを伝え、来道の機会もなくなるだろうから、バッグを送るとメールを入れた。