30, 12. 2011 吹雪の後は


暮も押し詰って来ると、慌ただしく過ごして先送りしていた詰らぬ雑事の山積に,しっぺ返しを受けることになる。例年のことながら、昨日は朝から雑事に追われた。午前中は小雪が舞う程度だったが,3軒の親戚に挨拶に出かける弟夫婦と甥夫婦を送りに玄関に出ると,雪が酷くなっていた。郵便受けに、先日書状をお送りした美術評論家のKさんからの書状が届いていた。

ご丁寧な書状の他に,昨年北海道新聞に4回に渉って執筆されたクリストの夫人で巨大プロジェクトの共同制作者でもあったジャンヌ・クロード女史の追悼会に出席された折の様子,2人の制作過程を映像として記録したアルバート・メイゼルの仕事と信条、さらに、札幌にも足跡を残した物故作家のアン・スペアリーの夫君のポール・スペアリーを弔問に訪れた折のことが記された記事のコピーと2009年から2010年1月にかけて開催された札幌美術展に寄せられた評論のコピーが同封されていた。ジャンヌ・クロードに付いて書かれたことは、テンポラリー スペースのN氏のブログで知っていたが,北海道新聞を購読していないので、目にすることが出来ずにいたので,一気に読み終えた。緻密に構築された人となり,仕事の内容を的確に表された佳い文章だった。

年内残り少ない日々なので,急いで礼状を作成する。プリントし終えて投函しに出ようとしたら,玄関のドアが開かない。4人を送り出して2時間位の間に,10cm強の雪が吹き溜っていた。階段の雪を掻いて,郵便局へ向う。吹雪いていた雪が僅かに小止みになって来たので,投函後西へ向って歩いた。住宅の屋根の雪が滑り落ちていた。あのドーム型の家はどうなったかと,見に立寄った。素材が問題なのか,円形部分の雪は落ちて居らず,東と西の側面に氷柱が下がっていた。思惑通りに事は運ばなかったらしい。






先刻までの吹雪が嘘の様に,空が晴れて来た。中央の沢は,樹々が雪を纏って明るくなっていた。遊歩道を北へ向い,北の沢の遊歩道に入る。先日まで姿が見えていた木蔦は殆ど雪に覆われていた。






西の雲間に,傾いた陽が沈んで行く。北西の空は曇っていたので,三番通りを東へ戻った。歩道と車道の間の雪の壁が高くなり,大型車以外は目に入らなくなって歩き易い。シラカバ公園まで戻ると,もう夕映えが出ていた。冬至を過ぎたとは言え,未だ日暮は早い。





今朝は薄雲が広がっているが,陽は射している。年末年始は人の動きの多い時期なので,荒れずに過ぎて欲しいもの。