20, 04. 2011 久々の晴れ間


雪も交えて、雨やら曇天の寒い日が続いていたが、昨日は5日振りに青空が見られた。家に接している雪が融けて隙間が大きくなって来たので、試みにアトリエの入口のドアを押し開けてみた。ドアは開いて、アトリエを廻って内庭へ出ることは可能だったが、道路には未だ出られない。前日よりは気温が上がり、陽射しが心地良かった。

カタクリが赤い芽を出して来た。中心には、白く蕾が見えている。キバナカタクリも、賑やかに出て来た。こちらも蕾を覗かせていた。ヤマシャクヤクが、大きな芽を出していた。これから一月近く、無事に発芽を確認する迄、一喜一憂する羽目に陥る。






前日の樹の切断作業で掌や腕が痛んでいたが、磁器粘土の陶筥の乾燥が進むので、身と蓋の内側を削る作業を進めた。掌は一層腫上がった。2時少し前に散歩に出かけた。快晴には程遠いが、久々の青空なので高い位置から眺めようと、国道の南を目指した。酪農学園大学の牧草地の雪は融けていたが、未だ乳牛の姿は見られなかった。新たに雪が降ったのか、北東の山々が白く輝いていた。




松並木を通り抜け、ロータリーから東へ向う。雪が融けたばかりの草地に、オオイヌノフグリキランソウが咲いていた。過日折れた蔓から樹液の氷柱を下げていたツルアジサイの芽が、長く伸びていた。耕作地の奥の丘に、ハルニレが見えて来た。






突き当りの急勾配の坂道を上る。視界が開けて、西の山々も見渡せた。前回此処を訪れたのは3月22日。頭の中は、東北の大災害で一杯だった。ほぼ一月を経て、此の丘に立ってイメージしたことが実現されつつある。住宅の高台への移転や膨大な瓦礫の有効利用。原子力エネルギーの転換は、未だ動きが弱い。瓦礫の75%は木材だそうで、被災者の燃料になればと考えていたが、既にチップとして発電の燃料とされているらしい。首都圏の電力不足を補うものではなく、被災地に還元するものであって欲しい。ハルニレの梢が量塊を増していた。高くて見極めは付かないが、図鑑で調べると、先ず花が咲き、実が生るという。丸く見えるのが花なのかも知れない。




坂道に戻り、国道へ向って下りる。市の指定木になっているイタヤカエデの梢も輝いていた。線路近くのお宅で、フクジュソウが満開だった。フクジュソウには、明るい陽射しが似合う。線路を越える階段を上り、国道へ出て、一番通りを戻った。




夕刻雲が広がって来ていたが、今朝もすっきりせぬ天候。東北地方には雪の予報も出ていた。日に100回もの余震が続き、不自由な生活を強いられているのだから、せめて暖かな陽光が降り注いで欲しい。