16, 03. 2011 牡丹雪舞う


寒気の到来で、昨日は時折雪が舞った。被災地にも雪の予報が出ていて、充分な暖房設備もなかろうにと、胸が痛む。女川に、1,000体もの遺体が流れ着いたと報じられていた。気仙沼から牡鹿半島先端の現在は牡鹿町となった捕鯨で栄えた鮎川に向う途中に、女川を通った。勿論、当時は原発などという物騒なものはなく、美しい所だった。夕陽を浴びながら牡鹿半島の尾根を進み、インフォメーションで探し当てた旧く構えの大きな旅館での夕食に出た鯨の刺身に、何年振りだろうかと子供の様に歓んでいた母の笑顔が浮かぶ思い出の地だけに、余りのギャップに胸を突かれた。

大分以前に届けられていた磁器粘土の函を開いた。20kgの粘土。5kgずつビニール袋に梱包されていた。手始めに、5kgの粘土を半分に分け、四角く成形して2つの陶筥を作ることにした。金属線で、身と蓋を切り離し、発泡スチロールの函に保管した。あと数日は、手を付けられない。

義妹のバッグを作りながら、昨年の旅の折に買求めた靴に合わせたバッグを思い付いていた。手の込んだ細工が必要なので、作業をし易くする為に工作用の細い木材を買求めて来ることにした。朝方は雲が切れていたが、牡丹雪が舞っていた。前日よりも気温は低い筈なのだが、風が弱く寒くは感じなかった。木材は最後に買求めることにして、前日廻れなかった南東を廻ることにした。南に面した庭には、もうヒマラヤユキノシタが姿を現していた。石を組んだ間に植えられていたので、熱伝導率の高い石が、雪を融かすのに一役かっていたのかも知れない。一番通りを東へ進む。小学校前の牧草地の上を、トビが舞っていた。





煉瓦工場の東の道を北へ進む。二番通りへ出て、東の沢へ寄り道した。ブルトーザーが押し出した雪の山も緩み始めていた。余り奥までは進めなくなった。沢を離れ、住宅街を西へ戻る。エゾマツの中で数羽の小鳥が動き廻っていた。1羽が枝先に出て来た。雪が小止みになった為か、近くの樹に飛び出して来た。シジュウカラだった。




気分に任せて道をジグザグに曲り、二番通りの100円ショップへ向う。雪で撓んでいたナツハゼは縄を解かれ、しっかり枝を広げていた。損傷なくもとの姿だった。100円ショップ前の駐車場の植込みに、ツツジだろうか、蕾を付けた灌木が雪の中から姿を現していた。細い木材とプッシュピンを買求め、ナナカマド公園を通って戻った。公園近くのお宅で、雪の中から数ヶ月振りに姿を現したサンキライを見かけた。






低い雲が垂れ込めていた昨日だったが、今朝は良く晴れている。今日は買求めて来た木材とピンで、計画を進めてみる。イメージ通りに、ことは進むのだろうか。